2014年1月25日土曜日

GETTING IN MY LIFE


最近のYK、すっかり気温が上がり、数ヶ月ぶりの氷点下一ケタ代まで上昇。 
今日は天気もよく久しぶりの青空と太陽だった。 
移動が少ないと書こうと思うことも少ない。

ここ数ヶ月は、仕事をしながら、ふわふわ不安定な回りの状況と(「周りの状況」ってのはおそらくいつも、不安定でつかみ所がないものなんだったんだろうな。)、それになんとか合わせていこうとする人間のサバイバル本能のせめぎあいだったように思う。
そして、きっと、身体の疲れと葛藤は、そういうものの中から出てくるんだろうな。なんて分析してどうなるわけでもなく。

はあー疲れています。ひさしぶりにくたくたです。


旅の香りは遠くなる一方で、ここにインドのにおいがないのに違和感を感じながらも、
つぎニューデリーに降り立つところをリアルイメージすると、自分を若干疑う。
一面ハエだらけとか、濃い肌の色に浮かび上がる真っ白な瞳のパワーに間違いなくまたたじろぐんだろうな。

旅をしている間には忘れがちになってしまうニュースのこともたまに思うよね。
このインドやネパールでも、私の頭の中のいい思い出の間をぬって、人が泣かなければならない暗黒社会もあるんだよねえ、とふと考えてみたりする。あるく町並みに、もう一つの顔をみるような一瞬。


とても曖昧な生き方。

最近の至福の時は、読書です。普段読まなかった色々なジャンルにまで手を付けられる海外生活!選択肢が少ないからね。 
「きらきらひかる」という短編をちょうど読み終わったところで、思いのほか面白かった。ふわふわした小説です。

それから、東野圭吾の本を最近連続して読む機会があった。活字って娯楽なんだな、って思わせられた、発見と、エンターテイメント方向のスキルをもって書かれてるんだなあ、となんか感心してしまった。

人によっては見たこと感じたことを練ったりこねたりしなくても、さらりと自分の気持ちにそう表現ができるのかもしれないし、一方では長年丁寧に感じ抜かれてきた感性で、文字や言葉にされているものもあると思う。
かつてNZで読んだ須賀敦子さんは後者、今回読み終わった江国香織さんの「きらきら~」は前者かな、とおもいつつ、これも、結局は蛇足的な見解。

一眼デジタルカメラの普及とかでいい写真を撮りやすくなったためか、同時にSNSの発達で地球上の数十億人の人間のあらゆるアイディアが24時間、写真付きというとっても具体的な方法で世界中を駆け回れるようになった、近代史にいきているらしいワタシタチ。



そりゃあ、蛇にも足がはえますよ。



日本に戻ったら、近くにツタヤと図書館のある生活がしたいなあ。
それで私は結構ハッピー。
いつになることやらね。(そういう生き方をさせてもらえてとてもありがたく思っています)


メモとしては・・・
つきの移動まで1ヶ月切っています。北緯60度まで来ると、物価がとても高いし、空気もすごく乾燥していて肌がとてもひりひりしますね。ようやく、5ヶ月ちょいにしてようやく脱出です。

2月12日から約1ヶ月の間、5月のネパールぶりのビパッサナ期間に入ります。
このリセットボタン的な機能がこの世界にあって本当によかったと思えるけれど、
案外にハードな生活なので、甘く見てると本当に大変なことになりそうでひやひやしてます。特に後半は初のサーブ参加(ボランティアみたいなもんですかね)なので、こちらは後日談ありに、なりそうですね!! 




THERE ARE PLACES I REMEMBER, ALL MY LIFE THOUGH SOME HAVE CHANGED.. SOME FOREVER NOT FOR BETTER. SOME HAVE GONE AND SOME REMAIN.

 ALL THESE PLACES HAVE THEIR MOMENTS. WITH LOVERS AND FRIENDS I STILL CAN RECALL. SOME ARE DEAD AND SOME ARE LIVING, IN MY LIFE I LOVED THEM ALL.

2014年1月10日金曜日

チェスのおやじ

はじめてひとりで長距離バスに乗って、向かった先はエアーズロック。そのころはバックパックじゃなくて、愚かにも100Lサイズのスーツケース(と、買ったときに書いてあった。)をごろごろしていた。そしてグレイハウンドバスに乗る。


オーストラリアのQLD州、マッカイからバス乗りつきながらで約3日かけて大陸の真ん中に到着。行きはまだよかった。印刷されたバスのスケジュールを見ながら、遅すぎず早すぎない時間帯内で町なかを移動できるなと、しめしめバックパッカーズホステルを探していた。 
が、帰りのスケジュールだ。「2:30am着 テーナントクリーク」 と書いてある。 





世の中よく出来ているもので、そういうバス停を持つ町は、そういういい具合にピックアップをしてくれる宿ないしサービスというものがたいていある(ということをこのとき学んだ)


「VIP BACKPACKERS HOSTEL 24HOURS PICK-UP!!」







暗闇に浮かぶがごとくのバス停に突っ立つ私をピックアップしてくれたバスのおっさんは、とってもオージーな風な帽子をかぶり、服をきて、言葉をはなした。ホステルの駐車場について受付はもう閉まってるから明日にしてね、なんていって私に部屋の鍵を渡してくれた。
おっさんは、ホステルのオーナーなのか? 
「ちがよ、ドライバーだあよ」

おっさんのバスは、この一人ぼっちのアジア人に対する哀れみなど皆無に私を駐車場に残して闇夜に走り去っていった。あの後姿はいまでもはっきりと覚えている。心細いような、でも、これが、まったくはじめてのひとりっきりという感覚なような気がして、とてもワクワクした。あたりはとても真っ暗で、人の気配がまったくない。
ホステルはアパート的な造りになっていて、各部屋のドア上に付けられている外灯が、明りを無言で放っている。外廊下ですべてが繋がっている。ちいさな庭や、きっとお客がたくさんいる時はここでみんなで食事をするんだろう大きな古いガーデンテーブル・・・
レセプション窓口に付けられた「WELCOME!」のネオン看板が唯一、このホステルでいまだに働いているもののようだ。
それにしてもまったくWELCOMEされている感じはないし、VIP感もない。どうしてこんな名前をつけたのか、まったくわからなかったけれど、その自由な感じはなぜだか私を楽しませてくれる。

キッチンがレセプションのすぐ隣にある。ちらっと中を覗いて、第一村人発見、 白人のおやじがソファに足を伸ばして座ってテレビを見ているぞ! 
初めてのひとりきりが終了してしまった。しかもそのころの私は今よりも輪をかけてシャイだったので、キッチンに入るのがしのびなかった。英語は、旅行に困らないくらいはしゃべれし英語で喧嘩だって出来る、当時はそんなことを自慢していたけれど、いざというとき、自分自身をオープンにすることがとても難しい作業のように感じていたのだ。

そういうわけでスルーを決断。
とりあえず、そうだ、タバコを吸おう。
一服しに庭へ出た。が、自分の部屋に戻るにはキッチンの前をまた通る。
まあ、スルーしようか、なんて考えていたらキッチンのおやじの姿が、そののドアから半分ぬっと出ているではないか。その頭は、間違いなく私の方を向いている・・・!

とても背が高く、表情の読みにくい青い瞳が目に入った。50代くらいの、細身のガテン系なおっさんだ、という印象はあったが、こんな時間にキッチンでテレビ見て、というか、こんな時間の、こんなオーストラリアのど真ん中な場所の何もなさけなところに、なにしているんだろうか。と、不思議で、なんだかこのおっさんが妖精にみえてくるような・・・

だれなんだろう・・・

「チェスは、するかい」
は? と思ったが、すぐに補足を話してくれた。
「明日の朝一で仕事に出るから、寝ずに起きていたんだが、退屈だし・・・チェスの相手でもいないかと思ったんだけれど、どうやらだれもいないね。」
するよ、ちょっとだけ。昔、母親とやったことがある。
するとおっさんちょっとうれしそうに「チェスは世界一有名なゲーム、いい教養なんだ」
と言った。

おっさんが壁のスイッチをつけると、キッチンの入り口前にあるささやかなスペースに灯りが燈った。ぱっと明るくなったかと思ったら赤や緑のにぎやかな光が現れた。時期はずれのクリスマスの電飾が天井につるされ、おそらく何年間も同じ状態なんだろうままの姿勢で、今はささやかなパーティのように輝いている。
量販店で売られているただ普通のものだけれど、そうではなかった。一 つのシンプルな物体というものが、落ち着いた華やかさを帯びている。静かで、彩り豊かだが優しく、サイレントパーティのような空間のすぐ隣には、完全分離 した夜闇がみえる。思い出でそう感じているのではなく、そのリアルタイムでそう思ったことを思えている。灯りの下には古ぼけだいぶ痛んでいる木製のテーブルがあり、上面にチェックのチェス版が書かれていた。
時間もだいぶ遅いしと一勝負だけ承諾すると、おじさんはキッチンに戻るとどこからかチェスの駒を持ち出し、どれどれとテーブルに付いた。




おやじの始めたチェスゲームはゆっくりとした一定の流れですすんでいったが、何分間続いたかは覚えていない。私がチェックメイトを言い渡されたときにはおやじの手元には、私のポーンもビッショップも・・・キングとひとつのポーン以外のすべてがいた。

はは、と静かな笑顔のおやじは、今までにみたタイプの人間のとは少し違っていた気がする。 
スカイプとかしながらね、息子とたまにチェスするんだ。・・・アメリカに住んでいるんだよ。彼も、いいプレーヤーでね、自分が教えたんだ。
よく、いっしょにゲームしたんだよ。 
アメリカ、仕事してるんだよ、息子ね・・・・






青い瞳が笑っている。
不思議なパーティは終始静かなまま、そのまま夜の静けさのなかに混ざりこむように終わりを迎えた。




だれもいないドミトリーの4人部屋、床に敷かれた赤土色の絨毯、黄土色の毛布。下段のベッドにもぐりこんでみると、体の下でばねがぎしぎしとさび付いた音を立てた。

どこから来たの、名前はなに?何しにここへ来ているの?なにをしているの?そんな一切の質問がされなかったことに私はふと気が付いた。
おっさんの目に、私はその相手であって、異国の人間でもアジア人でもなかった。
女でもなければ男でもなかった。
言葉はまるでそれ自体の存在が忘れられ、私は、ひとり私という人間にさせられていた。





大げさに感じすぎていたかもしれないけれど、それが初めての、完全にひとりきりになった瞬間だった。そして、
過去も未来もなにもない一瞬を感じた、第一日目だったようにも、思う。





おっさんとそのアメリカに住んでいる息子のことを想う。









ところでその翌朝、どこから現れたか4,5名のトラベラーがわらわらと部屋から現れ、挙句の果てに昨夜のバスドライバーも現れて、とりあえずみんなそろってテーナントクリークのツアーに出かけた。バーベキュー込み、夕日観覧込みで99ドル!え!? 

結局このバスドライバーは、何者なのか。しかしとてもいいツアーガイドで、アボリジニの現在残る文化のこともいろいろ話してくれた。テーナントクリークにいかれた際は、ぜひ「VIP BACKPACKERS」へ!!

                   DEVIL'S MARBLES




日本から出て、初めてのひとり海外だったある日。

2014年1月7日火曜日

THINGS IN A PIC

昔は、写真を撮るのにはいい目が必要だった、となにかで読んだ とくにどこか未開地の写真を取るのに、フィルムを無駄にすることも出来ない、機材を運ぶ負担が大きいなどのコンディションがあるからこそ、ものをとらえる、被写体を判断する的確な目が大切だった。 

その当時の人と呼ばれるような写真家たちがそうと知っていたのかはわからないし、わたしにもわからないが、おそらく沢山のひとたちが「ああ、これは撮らなきゃ」という衝動に駆られる瞬間があるのではないだろうかと思う。だれかに自慢するためのものでもなく、思い出残しというわけでもないのだけれど・・・

                      天然セピアの3分間 (NEW ZEALAND)

 



すぐそこの世界中で起こっている世にも美しい自然現象を写しているのかもしれないし誰かへのメッセージなのかもしれないし、まあまだ理由ははっきりしていないけれど、私はとりあえず、窓がすきなのだ。 


                            ふゆのあかり(CANADA)




’その昔’と今とではちがう条件の中での生活があるのだけれど、まあ、ラップトップの中に眠る、ん万枚のデジタルカメラの写真たちも久しぶりにひらけば、そのときの、その場所の香りや感覚を思い出させてくれるのだから、そう悪くないね。
でも、写真に写さなかったたくさんの人々や場所のことも、やっぱりしっかりと、たまには、思い出したい。